◆高橋 治さんと「ミラノの爆弾」

高橋 治 訃報
直木賞作家の高橋治さんが肺炎のため神奈川県の自宅で亡くなられた。
2015年6月13日。86歳。
旧制第四高等学校で同窓だった澁谷亮治さん(澁谷工業会長、経済同友会代表
幹事、故人)が茶房犀せいに連れていらしたのが22年前。
それからは、しばしば立ち寄っていただいた。

ある日、アイスクリームとエスプレッソ珈琲を同時に注文し、アイスクリーム
に珈琲を少量かけよとおっしゃる。
「君も食べてみなさい」
冷たいアイスクリームに熱くて苦い珈琲がマーブル模様のように溶け合い
口の中で絡み合う。
これはすぐにメニューアップだ。

「名前を付けてくださいな」
「明日また来るから考えておくよ」

翌日。
「原題が優れていて、それに勝るネーミングが思いつかなかった」
「え? すでにあるメニューなんですか?」
「うん、ミラノにあってね、ボム・バ・デ・ミラノというんだ」
「ミラノの爆弾? それは素敵。作家先生の負けですね」

そしてすかさず、私は言った。
「メニュー名はミラノの爆弾で決定することにして、惹句(キャッチコピー)
を考えてください」
先生すかさず、「人妻の不倫の味」

誰あろう、中年男女の恋を描いた『風の盆恋歌』の作者だ。
熱くて苦い恋。
この惹句はもともと作家の頭の中にあったのかも知れない。
ミラノの爆弾
しかし、次第に私は「ミラノの爆弾」なるメニューが本当にミラノの
カフェに存在するのか疑問に思うようになった。
しばらくぶりで見えた先生に疑問をぶつけた。

「ほんとに〝原題〟なの? 先生の捏造じゃないの? フィクションで
飯を食う作家はウソツキの始まりだから」
先生、答えず、「フフ、フ」と含み笑いをするばかり。

〝自白〟に追い込むことはできなかったが、やはりあれは作家の創造
だったと今は思っている。
 
数年して越中八尾の風の盆を見に行った。
転勤族の読売、日経新聞の支局長らも加わった数人のツァーである。
街筋にはぼんぼりが灯り、闇を際立たせている。

ぼんぼりの灯にうっすらと字が揺らぐ。
眼を凝らすと、それは「風」。
なかなかの達筆で、左脇に小さく「治」とある。
高橋 治さんの字だ!

群集の中に高橋さんを見つけた。
白っぽい絽の着物で、そろりそろりと歩いている。
「先生、小説ばかりじゃなくて、字もお上手なんですね」
「いやいや、それほどでも」

支局長たちを紹介がてら、打診してみる。
「今度、犀せいにいらした時に一筆お願いします」
先生、「いますぐ書いてあげるよ」と慫庵(という名だったと思う)
に私をいざない、女将らしき人に「墨をもて」「紙をもて」と道具を
取り寄せ、気迫を込めた墨黒で「犀せい」と一筆。

その書は、犀せいの階段を下りるときに見える場所に飾った。
高橋治さんの字
以後、作家は自分の書を見つつ、茶房の階段を降りることになる。
実は八尾で私が書いてほしかったのは、ぼんぼりにも書かれていた
「風」という字だった。

あの夜、「風を」とお願いすると作家は「嫌だ」。
「え?」
「〝犀せい〟と書く」
「それはすでにロゴ(字体)が決まっているので〝風〟と!」
「嫌だ、〝犀せい〟だ」

いま、高橋さんの野太く野生的で、それでいてどこか優しさの
漂う〝犀せい〟を見ると、これでよかったのだとしみじみ思う。

雑記 15 年 6 月 18 日

◆ 2014年の “ 年内状 ”

2014年も残すところ、あと3日。
1年を振り返ってみて、強く印象に残ったことが2点ある。

1つは、政治家の顔が醜くなったこと。
奇襲ともいえる師走総選挙に持ち込み、過半数を制した自・公の皆さん。
そして惨敗を喫した野党の皆さん。
勝ち組も負け組も、すっきりしないあの顔の汚なさは何なんだろう。
( ただし、沖縄の当選者を除く )
40になったら顔に責任を持てといわれる。
あの顔はちまちまウジウジした心の内をまことによく表していて、
その意味では「責任を取らない」という「責任」を取った顔といえるかもしれない。

もう1つは原発事故のためフクシマから金沢へ避難してきた人の
生の声を聞いて、原発問題は何ひとつ片付いていないのを改めて痛感したこと。
今年の “ 年内状 ” はそのことを書いた。

その 年内状 を出すのも今年で32回目になる。
なぜ年賀状ではなくて年内状なのか。
そのわけを書いたコラム(2001年12月31日付)を下記に再録した。

では皆さま、少しでも佳い年に! と祈ることにしましょう。

2014年内状
   ( ↑ 画面をクリックすると拡大できます ↓ )
年賀状のバーチャル感覚2001

雑記 14 年 12 月 28 日

◆2013年の “ 年内状 ”

今年も終盤になって、とうとう「特定秘密保護法」が成立した。
政府・与党はこの法立を「国家・国民の安全を守るのが目的」で、「政府が
都合の悪い情報を隠すことはない」、「一般の国民が処罰されることはない」
(自民党NEWS<特定秘密保護法3つのポイント>より) と言っているが
論理に矛盾がある。

わざわざ法案を作り、ごり押しで通してしまったのは、国民に知られたくない
ことがあるからなのは明白。
それを「政府が都合の悪い情報を隠すことはない」とは白々しい。
国民の目が及ばないよう「秘密」を「保護」するというこの法律のネーミング。
名は体を表わす。語るに落ちるとはこのことだ。

不穏な社会状況はメディアの多様な報道を通して知るのが一般的な方法だが、
秘密保護法施行後はメディアの萎縮~自粛が始まるとみていいだろう。

そんな危機感から書いた今年最後のコラム「プロデューサーはなぜ内部告発者
になったのか」は、<メディア>と<秘密>の関係に焦点を当てたものだ。
→http://saisei-kanazawa.jp/archives/1791(当ホームページ「コラム」の項参照)

“年内状”を書くのも今年で31年目。
そのいきさつは2001年12月のコラムで詳しく書いた。
→http://saisei-kanazawa.jp/archives/123

皆さま、どうぞご無事で新年を迎えられますように・・・。

年内状 2013 (2)

雑記 13 年 12 月 27 日

◆2012年の“年内状”

今年、最も多く聞いた言葉・・・「何を信じていいのかわからなくなった」。
大津波が東北地方を襲い、福島第一原発が火を吹いた昨年 3.11 以降の
被害状況とその対応に関するアナウンスが二転三転した政府への疑心と批判だ。

師走の衆院選でも争点が曇りガラスのようにぼやかされてしまい、消費税を上げ、
大型予算(つまり、国民への借金)さえ組めば全て片がつくような雰囲気が蔓延していた。
メディアの論調も、大勝ちした自民党礼賛では似たりよったり。
多様な考え方の参考にしたくても、メディアの方が “多様” ではないのだ。
オピニオンを自負する「メディアの在り方」がもっと語られていいと思う1年でもあった。

年内状2012に書いた乃莉さん(78)、峯子さん(85)のお2人は共に金沢の西茶屋街で
軒をはるお茶屋の女将。乃莉さんは「明月」を、峯子さんは「美音」を経営している。
政治経済は言わずもがな、文化までもが結果を先に求める風潮が強い中で、手を抜かずに
修行を積み上げていく凛とした姿は、そのまま現代社会への警鐘のように思える。

年内状を出すのも今年でちょうど30年目になる。
なんで年内状を? そのいきさつは 2001年12月 のコラムに書いた(下記)。
ご一読い頂ければありがたく。
皆さまにとって来年が佳き年でありますように・・・。         村井幸子


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雑記 12 年 12 月 23 日

◆2011年の “年内状”

        3.11 の記憶をはらみながら2011年も暮れる。
        あの日以来、政府の発言も東電のコメントも
        メディアの文言もどこか嘘くさく
        言葉に体温が感じられない。
        言霊(ことだま)が消えてしまった。
        これからどう在ればいいのか。
        胸苦しい思いでコラムを書いた(12月22日付)。
        年内状と併せて読んで頂ければありがたい。

        ほんの少しでもいい、来年が佳い年になるよう祈りつつ。

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          (クリックすると拡大できます)

雑記 11 年 12 月 23 日

◆年賀状から“年内状”へ

今年も約500人の方々に“年内状”を出した。
年内状? 耳慣れないのは当然で、私の造語である。
師走の慌ただしい時期に、新年になったつもりで書く「予定稿」ではなく、
1年の有難うの気持ちを、その年の内に届ける。
そうしたリアリティーを大事にしたいという気持ちから始めた。
だから、“年内状”
もうかれこれ30年近く続けている。「そのアイデア、いただき」と年内状に
変えた友人も20人を越えた。

年賀状から年内状に切り替えるには、あるキッカケがあった。
そのいきさつは「年賀状のバーチャル感覚」と題して2001年12月31日
付の毎日新聞掲載コラムに書いた。
  →(詳細はトップページの「コラム」の項をクリック)
文面はその年に感じたことを書く。少々辛口になることもある。
以下が今年の「年内状」。

       お上が今年、29年ぶりに漢字を見直し、欝、彙など難易度の高い
        字200余りを追加し、常に用いてもよろしいとする漢字を2000
        以上にしたそうです。
        私はそれを喜ぶものの1人ですが、本音を言えば「何をいまさら」。
      パソコン、携帯など情報機器の辞書機能が充実したのが見直しの
      理由だそうです。が、実際は機能の充実とは裏腹に複雑な漢字を
      「読めない、書けない」人が増えている。
      29年の空白も一因でしょう。
      独裁国家じゃあるまいし、もともとあった国民共有財産の漢字を
      お上が制限したり解除したりするのがおかしいのだと思います。
      振り返れば、「何をいまさら」といいたくなることの多い年でした。
      今年もいろいろとお世話になりました。
      感謝の気持ちを込めての“年内状”です。
      来年が佳き年になりますように…。   2010年師走 村井幸子         

 

 

 

 

 

雑記 10 年 12 月 30 日

◆さようなら、親分。     

 20年ほど前の某月某日、友人がある男性を連れてきた。
カウンタ-にどっかと陣取ったその男は黒ダブルのス-ツに大きめの眼鏡、
黒いソフト帽。ぎろりとした、場を威圧するような眼つきは、まぎれもなくあの
名脇役、そう、2009年3月31日に逝った金田龍之介さんその人だった。
 友人はおでん屋で金田さんと偶然隣り合わせになって話が合い、私の店
に連れてきたのだという。   
 
 ぎろり眼がひたと私を射抜いたその1秒後、私は軽く頭を下げてゆっくりゆ
っくり、迎えの言葉を発した。
 「親分、お待ちして、おりました」
 名だたる名優を前にして、ありきたりな挨拶はつまらない。咄嗟に出た台
詞だったが、ぎろり眼氏は何と、「おぅ、待たせたな」 と応じたのだ。

 何年か経ったある日、これまたぎろり眼のちょっとこわもてしそうな男が訪
ねてきた。
「あんたがオ-ナ-か?」
 「そうですけど」
 女であることが不服らしい。

 男は内ポケットから葉書を取り出した。
 差出人は金田龍之介。「金沢に俺の子分がいるから、贔屓にしてやってく
れ」といった文面だ。これじゃ誰だって子分は男だと思うだろう。 男は某ゼネ
コンの北陸責任者として金沢に赴任してきたばかりで、金田さんとは長年の
付き合いだという。
 彼、ハマちゃんと私はすぐに打ち解けあった。

  2001年夏、念願かなって私は金田さんと仕事をすることができた。
 『金田龍之介が拓く鏡花の世界~ドラマリ-ディング高野聖』。
会場は金沢市竪町商店街にある、たてまち劇場。当時、同商店街「マムの
会」会長だった山岸淑子さんの協力で実現した。(商店街が運営する劇場は
珍しく、そのユニ-クな取り組みは全国的知名度を得ていたが、今はもうなく
寂しい限りだ)

  紋付袴で舞台に臨んだ金田さんは客席に向かって一礼し、粛然とした面持
ちで前口上を述べはじめた。
「泉鏡花先生の生誕の地で演じさせたいただくのは、よその地と違い、役者
として震えるような無上の喜びを感じております。鏡花先生の墓前に奉げる気
持ちで一生懸命務めさせていただきます」
  世に役者の数は多いが、このように切々たる仰望の念を聞いたことがない。
暗い客席から、居ずまいを正した観客の呼吸がさざ波のように伝わってきた。

親分、ありがとう。そして、さようなら。
鏡花先生と今ごろは会えていますよね。

 

雑記 09 年 4 月 7 日

金沢・茶房 犀せい 石川県金沢市片町1-3-29 076-232-3210 定休日:日曜・月曜・祝日 17:00~23:30